白魔女ちひろ の 公式ブログ

〜 白魔女が 三次元地球を 遊び尽くす 物語 〜

『虐待』は「悪」なのか 『虐待被害児』は「可哀想」なのか 〜虐待を受けていたわたしが考える

 

 

 

 

 

 

何度も言ってますが

わたしは保育園の頃に母親から身体的な虐待を受けており

その後頭部を掃除機で強打された事により出血し頭を何針か縫い

それ以降は高校生まで言葉で精神的な虐待を受けて来ました

 

mucu69.hatenablog.com

 

この虐待を悪と考えないわたしの思考が

ある人にとってはとても暴力的になり得る

というのは重々承知の上です

下記の『うつは甘えではないけれど うつであるという事は甘えだと思った』と同じ理屈で

 

だけど 「わたしの考えは間違っている」と思う事はありません

わたしにとっての事実は揺るがずに事実であるから

 

mucu69.hatenablog.com

 

虐待を受けて育って来た人は『虐待の被害者』のレッテルと共に育ちます

そしてそれはきっと一種のアイデンティティなのでしょう

そして良い言い訳の一つでもあるのでしょう

 

『虐待に被害者』の『わたし』は「だからこういう状況なんだ」と言います

「だから不幸なんだ」「だから子供が愛せない」「だから生き難い」と

「だからわたしの今の状況は虐待の所為であって仕方無いんだ」と

 

経験者なので この言い分は痛い程分かります

ですがそれは『事実』の一片でしかなく

『事実』全てではありません

 

わたしの母がどういう想いで虐待をしてしまっていたのかは 今のわたしには知る由もありませんが

施設に入れるなり棄てるなり殺すなり出来た筈なんですよ

それをしなかったのはひとえに愛ではないかなと思っているんです

 

夫に初めて虐待について話した時は

確か「可哀想に」と泣かれた覚えがあります

夫は家族仲も良いし 虐待の実体験は想像を絶するものだったんでしょう

 

泣き叫ぶ我が子を踏み付ける親なんて

「可愛くない」「産まなきゃ良かった」「何の役にも立たない」と言い続ける親なんて

実体験しなければ実在しないので 限りなく現実に近い幻でしかありません

 

虐待のおかげで『アダルトチルドレン』も『身体醜形障害』も『摂食障害』も『共依存』も色々と経験しました

死ぬ事を夢見る毎日を送っていましたし

人間は滅びた方が地球の為だと本気で思っていました

 

しかし 今わたしは虐待を経験して良かったと思っています

無ければ今の『わたし』というものは存在していないからです

全てにおいて何の経験にしろ何かの結果が得られているからです

 

結局はどんな物事でも「それでどうするのか?」に尽きると思います

借金で会社が倒産したから人生オワコンだと思うのか再起する糧とするのか

その人の行動次第でどうにでもなる

 

mucu69.hatenablog.com

 

「死んでしまった子も居るんだぞ」と言われてしまえば「そうですね」としか返し様がありません

それは事実ありますし

しかしわたしは死んではいないので虐待されて死んでしまった子の気持ちや状況は分かりません

 

どんな主張も「こういう人も居る」程度の話です

それを「それは違う」と他人から批判される言われはありません

何人たりとも他人を否定する権利なんて持ち得ていません

 

「あなたの主張は間違っている」だなんて誰に言えるんでしょうか

その『間違え』とは何に対してでしょうか?

一般常識でしょうか?自分の考えでしょうか?

 

自分の考え方を正義としてしまい

他の見方を否定し排除する

という行いは とても危険だなと思っています

 

わたしは『正誤』や『善悪』の議論をしたい訳ではありません

あくまで「わたしはこう思う」と言っているだけに過ぎません

誰かの価値観でわたしの意見を否定も矯正もされるいわれは無いのです

 

人が人を制限する事は出来ない

それを考えられていない人があまりに多いのじゃないかな

そういう人は大海を知らない井の中の蛙で居れば良い

 

mucu69.hatenablog.com

 

そう言えば

虐待経験者であろう方からリプが来ました

 

わたしの様に虐待被害者であっても

その加害者を嫌わずに 自分の方が本当に悪いんだと信じていました

そういう人は稀有な存在なのかもしれません

 

 

 

いつも物事を判断するのは自分であって

他人に「可哀想」とか言われる筋合いは無いと思うんだ

『可哀想な人』を作り出しているのは「可哀想」だと思う人

 

三者のそれは想像にしか過ぎない

当事者の事なんて何も知らないじゃないか

言ってしまえば全て妄想

 

虐待に対して厳しい意見の人って

虐待なんかと無縁の家庭で生まれ育った もしくは 虐待被害者で自分と重ねてみてしまう のいずれかじゃないかな

虐待に限らずどんな事象においても声高なのは当事者では無い

 

わたしは加害者だとされる虐待する親の意見が聞きたい

「我が子に手を上げてしまった…」と心痛める親も居ると思う

その人に対して虐待についてあれこれ言ってる人は「あなたは悪だ」と言えるのだろうか

 

『虐待』を「悪だ」と言ったとして

『虐待加害者』を「悪だ」と言ったとして

何の解決にもなりません

 

何故その『悪』は『悪』になってしまったんでしょう?

結果には必ず原因が存在しています

根本の解決をしないで「虐待という悪を無くそう」というのは無謀な話です

 

わたしの領分で言うと

「癌を無くしてしまえば良い」と手術をする様なもの

癌が出来る機序なんて人によって全く違うんですよね

 

だから癌を無くしたからって健康にはならない

話が少し変わってしまうかもしれないけど

総理大臣を変えたところで人ひとりひとりが変わらないと世の中は変わらないのと同じだと思うんだよね

 

f:id:MUCU69:20190727115752j:plain

f:id:MUCU69:20190727120509j:plain

f:id:MUCU69:20190727115842j:plain

f:id:MUCU69:20190727120539j:plain

 

自殺で亡くなる人の方が

堕胎で亡くなる赤児の方が

もっと多い

 

しかし何故こんなにも虐待で亡くなる人の数を気にするのか

事故はアクシデントだったら仕方無いのだろうか?

事件は故意だからいけないのだろうか?

 

虐待で無くなるのは子供だからいけないんだろうか

人間の心理として老人より大人より子供の方が大事だと考えて当然である

人間はこの場合『可能性の多さ』で物事を測ってるからだ

 

何か『悪』を作ってしまうと

そこに付随したものに『善悪』が生まれる

例えばこの場合 虐待に否定的でなかったわたしは悪なんだろう( ˘ω˘ )

 

リプ欄を見てて思いますが

結局『類は友を呼ぶ』で

更に「乗っかって自分の主張をする場所」なんだなぁ〜

 

確かに「虐待は悪だ」と言って否定する人の方が少数でしょう

しかし「虐待は悪ではない」と言う主張が

「虐待は良である」というのとイコールではありません

 

何故かそこを勘違いして攻撃する人が居ます

わたしは『虐待』に対して『善悪』という判断基準を用いてないだけに過ぎません

『事実』はあくまで『事実』でしかありません

 

mucu69.hatenablog.com

mucu69.hatenablog.com

 

虐待を肯定する事と

乳幼児の死亡率を上げて強い遺伝子だけを残そうなんて極論を認めてしまう事

の因果関係が分かりませんね

 

そんな事言ってしまったら

世の中の色々な事は優生学に基づいているのですが…??となってしまう

いや そんな事は知らない方が良いのかもしれないですけどね

 

『悪』を否定するのが『正義』じゃない

『悪』を倒すのが『正義』じゃない

『正義』に一律化するのが『正義』なのか??

 

『善悪』それすらも見方による多様性の一つにしか過ぎない

この世は全て二元論で語り尽くせたりはしないのにね

狭義の二元論だけでは生き難くはないのかな


 

 

 

mucu69.hatenablog.com

mucu69.hatenablog.com

mucu69.hatenablog.com

mucu69.hatenablog.com